「文春」に“AV女優歴”を暴かれた元日経記者・鈴木涼美が緊急寄稿! を読んでまんまと本を買ってしまったけどちょっと腹が立つっていう話。

名著と言われるフィールドワークを元にした本は、例えば『暴走族のエスノグラフィー』(佐藤郁哉/新曜社)や『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィリス/筑摩書房)のように、現場に密着した研究者の記したものも、『搾取される若者たち』(阿部真大/集英社)や『ヤバい社会学』(スディール・ヴェンカテッシュ/東洋経済新報社)のように、著者自身が当事者となっている事自体を記述したものも存在するが、どれもある程度は自らの立場をはっきりとさせて出版されている。『「AV女優」の社会学』の著者は、「偏見を鑑みて」などという言い訳の裏で、どこかで自分の著作を読む偉いオジサンたちを「巨乳で馬鹿っぽいAV女優が書いたって知ったらどんな顔するの?」と嘲笑するような気持ちは持っていなかったと言えるだろうか。であるとしたら、これは大いに議論・批判されてしかるべき問題である。「日経記者がAV女優」であることよりも「鈴木涼美がAV女優」であることのほうが余程大きな問題を孕んでいる、と私は思う。

「文春」に”AV女優歴”を暴かれた元日経記者・鈴木涼美が緊急寄稿
http://lite-ra.com/2014/10/post-521_3.html

いつもけっこう面白いものをポストしてくれる友達がこれをポストしていたので、
どんなんかと思って見てみた。
結果、まんまと鈴木涼美『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』を買ってしまった。

そもそも表題記事を読んでの第一印象は、スッと読めてしまうけど面白いかと言われると……。というもの。
情景の描写がしっかりしているので、ひっかかるところなく最後まで読めた。
が、延々と描写が続くので、結論がそれなりのものだと感じられないと読後感は相当悪いかな……と思いつつ。 

ええ。あんまり良くなかったです。

結論としての、

「日経記者がAV女優」であることよりも「鈴木涼美がAV女優」であることのほうが余程大きな問題を孕んでいる、と私は思う。

は、うーん、まったくもってそのとおりだと思うよ。
と、思ったので、内容を確認しようと思って本も(キンドルで)買ってみたのだけれども、

『「AV女優」の社会学』の著者は、「偏見を鑑みて」などという言い訳の裏で、どこかで自分の著作を読む偉いオジサンたちを「巨乳で馬鹿っぽいAV女優が書いたって知ったらどんな顔するの?」と嘲笑するような気持ちは持っていなかったと言えるだろうか。

という部分にはやっぱり納得がいかず、それは、
結果的に著者が冒涜してしまったのは読者たる偉いオジサンたちではなく取材に協力してくれたAV現場の人たちでしょ?
ということ。

そして、こんなことを言われるだろうということも著者は織り込み済みな気もするけれど、
もしそうだとしたら自分も売るけど同僚も売り、それによって利益を得るといういわゆるほんとにやな奴だし、
そうでないとしたらアカデミズムにおいて人間を研究対象とすることへの意識が低すぎるだろう。

と、思ったのは、私がオートエスノグラフィーを研究領域の一つとしているからなんだろうけれども 。

もちろん、学術上の手続きの歴史的経緯として、執筆者が自分自身のことをことさらに記述の中に織り込むことがよしとされなかった時代もあった。
けれども、著者自身も言及しているように、
著者がこれを著した頃には多くの優れたエスノグラフィーは執筆者がどのような立場や状況でこれを書くに至ったのか、書くことができたのか、取材対象者との倫理的関係が保たれているかどうかをはっきりと記述することはほとんどマナーのようなものになっていたはずだ。 

それなのに、ここでは参与観察という言葉で適当に濁している、としか思えないし、
現場がデリケートだから、という理由で詳細は書かず、
高校生の頃の自身の皮膚感覚を論拠としてAV女優たちはごく普通の人達です、という主張をする。
そんな主張はもうずっと前からされていたし、読まれる・読まれないは別として現場に対する詳細なルポタージュはこれ以外にも数多く存在する。
となると、AV現場を題材とすれば売れる、とわかっていて書いただろ? と思ってしまうし、
それはつまり、自分と近しい人達です、という言葉を免罪符として取材に協力してくれた同僚たちを(自分だけが利益を得ることができるような)売り物にした、ということなんじゃないの?

なんか、こんなこと言われるだろうな、と思っているだろうと推測できるところが余計腹が立つ。
 

 

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