【研究ノート】小原國芳と坪内逍遥の演劇教育観に関するノート【演劇教育観に関する先行研究の整理のために】

(以下は、何年か前に、どこかに投稿できれば……と思って書いたけれども色々あってどこにも出さなかった文章の一部です。
あまりにも文体がぎこちない上にこまっしゃくれているところが気になってはいるのだけど、
ノートとしては悪くないような気もして、とはいえどこにも出すところはないのでここに載せておこうかと思います。) 

 

小原『学校劇論』、坪内『児童教育と演劇』におけるそれぞれの演劇の教育的意義についての議論の内容を、そこで上演がどのように扱われているかに着目しながら整理してみよう。まず、それぞれの演劇と教育についての理論の要旨を確認しよう。

小原の主張は、「人間完成のために、全人格完成のために、真の人間をつくるために芸術教育を高潮する」(小原、P.321 )というものである。小原の「全人格」は、「絶対的価値としての真、善、美、聖。手段的価値としての健、富」を要求するものであり、このような六つの要素を兼ね備えた人格を育てるために、これらが教育実践上にもバランスよく配置され行われる必要があり、そのために総合芸術としての演劇の教育的意義を主張する。

全人格の完成には芸術的教養が必要であり、小原は、そのような全人格的な教育を達成するために、演劇にかぎらず、美術や音楽などの芸術一般を学校教育の中心的な素材として扱うことで、「真の人間」(小原、P.321)を育てる「ホントの教育」(小原、P.311)を達成しようとしていた。そして、「演劇は総合芸術である」(小原、P.340)ので、そのような全人格を育てるための題材としてふさわしい。小原によれば、工作や図画、唱歌等を単一に扱うことでは不十分であり、小原は学校で児童・生徒が演劇の上演を行う「学校劇」によってこれらを総合的に扱い、そこから得られる相乗効果を期待する。

一方坪内は、「学校劇」ではなく、「児童劇」という語を用いて、子どもが演劇をすることについて論じている。それは学校で行われるものや教育目的のものに限定されていない。坪内にとって児童劇とは、演者として、または観客として子どもが関わっていればすべて児童劇であり、その意味では子どもが直接演じる演劇はその一部でしかない。ただし、坪内は正統な児童劇は「子供自身が自ら発企し、自ら工夫し、自ら演ずる」(坪内、P.87 )ものであると論じており、この場合も子どもが演じる演劇の比重はかなり大きい。坪内の望みとして、児童劇は、「子供の活動性を善導するに適した」もので、「彼らをして其の自己を表現させるように導くもの」であり、「其の自己訓練に適」していて、「成るべく活発に、四肢五体を働かすに適」し、「静的よりも動的」で、「娯楽というより遊戯」で、「個的の遊戯であるよりも群団的の遊戯」であるべきである。そこから坪内は、小原のように学校で演劇をすることではなく、「家庭児童劇」、すなわち「家庭内で、子供らの遊びとして、それへ親達や兄姉達が一しょになって、家人もしくは親族の子供、或いは近所の子供位いを呼んで来て、役割なぞは一々貼り出すようなことはしないで、これから子供が遊びますから見てやって下さい、という調子で」(坪内、P.141)行う演劇の教育的意義を主張する。

次に、小原と坪内の、演劇を行うことの教育目的や意義の内容はいかなるものだろうか。学校で演劇を行うこと、すなわち「学校劇」が必要であることの理由を、小原は14項にわたって論じている。

(『学校劇論』第三、二項、「学校劇必要論」による。)

  1. 総合芸術としての価値
  2. 子供の生活の充実、真の人格をつくるため
  3. 遊戯の教育的価値
  4. 劇的本能の啓培
  5. 子供の純真な芸術的表現を発露させるために
  6. 劇の革新
  7. 批評眼養成と正しき理解並びに劇の尊敬
  8. 感情の純化
  9. 内容上より、諸教科徹底のためにも
  10. 徳性の涵養
  11. 学校祭日――学校生活の文化化
  12. 家庭改良と社会教化
  13. プラトンの劇論
  14. 結論

内容的に整理すれば、①遊戯することが子どもの本能であるため(2、3、4、5、8、10)、②社会的に演劇の地位を向上させ日本社会を文化的に向上させるため(6、7、12)、③学校を文化的に豊かな場とするため(9、11、)、の3点にまとめられる。①については、子どもの遊ぶ様子が演劇的であることを、小原は以下のように書いている。

子どもの生活そのものを考えて見るがよい。一体、人間そのものの生活が実に、やがて深い意味の劇であるともいえるが、特に子供の生活そのものが、劇でないか。ママごと、人形ごっこ、(略)、羽根つき、マリなげ、(略)、いろんなことをして遊んでいる。すべてが劇である。私はまねといった。決してまねではないのである。大人の芝居以上、真剣である。(略)これをただまねとか、遊びとかいってはならない。実に子供にとっては大事な生活であり、学問であるのである。(小原、PP.359−360)

小原は、このように、子どもの生活に演劇的な要素が多分に含まれており、また子どもがそこから様々なことを学んでいることから、学校で演劇を行うことで、子どもの生活が充実し、「やがて豊富な人間たり得る」ことを目指している。②は、小原にすれば当時の演劇は経済的な理由から大衆におもねるものであり、堕落しているため、芸術としての演劇が社会的に根付くためには十分な批評眼を持った観客を育てる必要があり、そのため子どもの頃から芸術としての演劇に触れることが有効であることを主張するものである。③においては、演劇においては扱う戯曲によってはさまざまな教科の要素に触れることができ、それが演劇となって教師、生徒、さらに保護者とともに学校で共有されることで、その上演の日が「学校祭り日」(小原、P.375)となって、「殺風景な日本の学校生活」(小原、P.375)が改善されることが主張されている。

坪内は小原とは異なり、多くの観客の前で上演を行うような演劇を推奨しない。坪内はむしろ、子どもに演劇をさせるうえで親や教育者たちが考えるその弊害について考察し、それを回避するためにどのような点に留意するべきか、という手順で、その教育的意義の理論を展開する。

まず坪内は、子どもが演劇の上演に出演することにおいて想定される弊害を以下の五点にまとめている。

1)専門俳優になりたがりはせぬか――道楽者になりはせぬか
2)真面目な、じみな職業を厭忌するに到らざるか
3)妙に気取るようになり、一挙一動、一顰一笑に虚偽を弄する癖を馴到する無きを得るか
4)虚栄心を助長せざるか5)教うる人の身振を模し口真似をすることが主となりて自己発揮の機会は存外稀なるにはあらざるか(坪内、P.9)

しかし、坪内は、児童劇の扱い方に気をつければこれらは杞憂となると主張している。そのために注意すべき点は六点挙げられているが、要約すれば、単純な浪費や卑俗的な娯楽にならないようにし、父母や指導者はその演劇が自身の都合や虚栄のためにならないように、世話を焼き過ぎないようにし、なるべく色々な演目を扱うようにすればよい。坪内によれば、そもそもこれらの弊害が発生するのは、教育的配慮のない大勢の観客の前で上演しようとするためであり、よって坪内の主張は、児童劇は青春期を迎える前の子どもが教育的配慮が十分に行える父母のもと、家庭内でごく小規模に行うのがよい、という結論に至る。

坪内の考える児童劇の効用は、よって小原のそれよりもより子ども自身が得られる効用に即したものとなっている。坪内は児童劇の効用を十点にわたって論じているが、そのうち九点は子ども自身が得られる具体的な教育的効果について論じるものとなっている。その内容を要約すれば、①心身ともにその好奇心が満たされることによって生理的・心理的に利益が得られる(1、2、8)。②演劇の製作の過程で自然に分業が身につき、人と協力することが出来るようになる(3,4、5)。③戯曲を読むことで初歩的な知識が得られる(6、7)。④行儀、言葉遣いが良くなる。となっている。

観客に見せようとする時、舞台美術や照明、衣装、小道具などはどうしても華美になり、子どもの演技も大人に仕込まれたような動作になってしまう。南元子は、1924年に九頭竜繍画学校が帝国ホテルの宴会場でギャラをもらって公演をしていたことや、滝野川小学校の公演が父兄や研究者だけを観客として、設備の整った会場で行われていたことの記録を指摘し、「一般的な『学校劇』の中には、見世物的かつ商業的で、教育理念を欠いた劇が少なからずあったのではないだろうか」(南、2006、P.73)と考察している。大正自由教育運動の思想から言えば、演劇は芸術であるはずなので、子どもが演劇をすることにも意義があるはずだが、実際に行われている子どもの演劇は大人の都合に支配された、とても教育的とは思われないものばかりになっていた。そのことをどのように回避するのか、または打開するのか、が、小原、坪内を中心とした大正期の演劇教育論の中心課題であった 。そこで小原は、すべてにおいて教育的、または芸術的配慮のなされた「学校劇」を目指し、一方坪内は、大規模な上演を回避して親の庇護のもとに行われる「家庭児童劇」を主張する。

そのため小原は、小原の理想とする「学校劇」が、具体的にどのような手順で達成されるのかを、『学校劇論』の後半すべてを割いて詳細に論じる。内容的に整理すれば、脚本、演出、俳優、扮装・衣装、舞台装置の5項目についての論となっており、それぞれ具体的な指導の方法についての説明となっている。まず、脚本は、「真実」味があり、「自然」で、「思想が深」く、「新奇をてら」わず、「ノーブル」で、「深刻」で、「神秘」的で、「暗示的で、含蓄に富んだ」もので、「悲劇より喜劇の分量の多い」ものがよい、と論じられている(小原、P.392−394)。小原がこれらの条件を満たしていると考えているのは、シェイクスピアやバーナード・ショー、ハウプトマン、ゲーテ、イプセンなどであるが、必ずしもこれらの劇作家の演目を扱うべきだと論じているわけではなく、教師が「ドコまでも純真に、力を尽くして、真剣に自己の個性を大胆に発揮」(小原、P.393)できるものが理想であり、「群衆の歓心を買わんがために愚評に負けてはならない」(小原、P.394)。演出については、小原はこれを交響曲の指揮者にたとえ、当時演出は不要であるという議論もあったことを踏まえた上で、必要であると主張している。そして、演出者は「すべてに通暁」しており、芸術的素養を有し、「人格者」(小原、PP.416−417)でなければならない。俳優については、ここでは俳優が「従来の役者だとか、俳優だとかいう名前について連想されたいやな感じが一掃されて、世間も本人も、ホントに、人類文化の貴い一つの世界を開拓し建設しつつあることを自覚し、むしろ人類の貴い教育者であること」(小原、P.427)が目指されている。そして、扮装や衣装は、「フダン着のまま」でよく、小道具なども「質素で簡単で、特にシンボリック」なものがよい(小原、P.439)。しかし、舞台装置については「劇と名付けられる以上当然必要」であるが、「補助的である」。あくまでも補助的なものであるが、「その付随的価値を切り離してでも、美術的効果を表すものでありたい」(小原、P.446)と考える。

小原にとって演劇は総合芸術であるために教育的価値があり、さらに、学校を祝祭化するためにも、上演は絶対に欠かせない。しかも、それは可能な限り、音楽や美術、照明効果など、俳優の身体表現や戯曲の文学的要素以外の芸術的要素を兼ね備えたものでなければならない。また、小原は「学校劇」を実践する際には役の選択上の注意として「金持の子や、優等生や、美貌の子ばかりに偏りし過ぎないように」としているが、同時に「どうせ主役に優等生が多く立つことは自然止むを得ないことである」(小原、P.451)と述べており、被教育者としての子どもが演劇制作を経験することそのものよりも、芸術的に価値の高い上演を学校という教育の場で達成することのほうが優先されている。

一方坪内は、たとえ子どもの演じる児童劇であっても「(幼稚園や校庭、広場などの)広いところで演ずるときは、服装や背景を私が作中に指定しておいただけには工夫せなければいけない。(略)殆ど不断着の洋服や袴で『をろち退治』を演ずるなんぞは乱暴な演じかた」(P.87)であると考える。しかし大規模な上演にはそのような工夫が必要であるからこそ、そこに大人の教育的に無配慮な、大人の虚栄心を満たそうとするような圧力がはたらきがちになるため、そこに児童劇の教育的効果はなくなってしまう。坪内の結論は、小原の論じるような大規模な上演を放棄し、青春期を迎える前の子どもが教育的配慮が十分に行える父母のもと、家庭内でごく小規模に行う「家庭児童劇」にこそ、演劇の教育的可能性があるとするものとなる。

折しも新劇の登場と演劇改良運動を経た当時の日本の演劇界にあって、小原も坪内も、海外の演劇の芸術性の高さ、地位の高さに憧れを持っていた 。日本において演劇俳優が「河原者」と呼ばれ、行われる演劇の内容もその多くが大衆におもねった卑俗なものであったことに対する問題意識は小原にも坪内にも共通であり、だからこそ、将来演劇の観客となる子どもに、芸術としての演劇に対する審美眼を育てたいと考える態度は一致している。そして、両者がそのような演劇を達成するために依拠したのは、「子供の純真な芸術的表現」(小原、P.344)であり、「無意識に、無秩序に併しながら最も好き好んでやって居る」子どもの遊戯であった。

ただし、この「芸術としての演劇」の「芸術性」がいかなるものか、小原も坪内もここではほとんど論じていないことに留意したい。もちろん、それぞれに理想とする演劇の像はあっただろう。特に坪内には、明確に、彼の理想とする演劇観があっただろうが、そのことは彼の児童劇論において前提にはなっていると考えられるが名言はされていない。小原も坪内も、子どもの演劇に対して、実際に行われている子どもの演劇の多くがそうではないにもかかわらず、「芸術性」の名のもとにそこで子どもの子どもらしい自然な表現が達成されることを期待し、その上に子どもが演劇をすることの意義を展開しようとした。

しかし、これらの理論がどれほどの実現可能性をもっていたのかは不明である。小原は『学校劇論』において自身の学校劇制作の経験を回顧する際、「音楽には山本尋君あり、脚本家としては橋本留喜君、田上新吉君、電気照明には田中栄太郎君、背景には堀孝雄君、古閑停君、振付には石田ひろ女史、不肖私が舞台監督 の大役を自ら引き受けたものであった」(小原、P.353)と述べており、これらの要素を指導できる人間が、小原の周囲におり、そのことが小原の「学校劇」観の形成に大きく影響している。小原の環境はかなり恵まれたものであり、実際このような多分野の指導者をそろえられる教育環境が常に、または他の学校で実現できただろうか。実際、南(2006)が詳細に論じたように、小原の主張とは裏腹な華美な舞台ばかりが流行し、それは当時の文部大臣岡田良平に「学校劇」に苦言を呈する内容の訓示を提出させることになる。また、この訓令の後、坪内は「児童劇」運動をやめ、以後シェイクスピアの完訳に没頭していくことになる。

 

参照している文献は……

小原國芳(1923)『学校劇論』イデア書房。
坪内逍遥(1923)『児童教育と演劇』早稲田大学出版部。

小原の『学校劇論』は1923年にイデア書房から出版されたが、本論では1963年に出版された小原国芳全集〈第9巻〉でその内容を確認している。『学校劇論』からの引用はこの全集のページ数を示す。 

坪内の『児童教育と演劇』は、1923年に早稲田大学出版部から出版されたが、1973年に日本青少年文化センターから再出版された。『児童教育と演劇』からの引用はこの1973年の日本青少年文化センター版のページ数を示す。

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