【研究ノート】冨田博之の演劇教育観に関するノート【演劇教育観に関する先行研究の整理のために】

前回の続き。今回は冨田博之についてです。

冨田の『演劇教育』は1993年に国土社から復刻版が出版されています。
以後、『演劇教育』からの引用はこの復刻版のページ数です。

冨田博之は、これら小原、坪内の演劇と教育についての理論を参照した上で、それをさらに発展させ、体系的な整理を試みた。その理論の登場までにはおよそ二十年の隔たりがあり、それはその後第二次大戦にいたるまでの戦時教育体制の進展などのためと考えられるが、その間にも有志による移動巡回公演なども含め、実践は行われており、それらについての記録も一 定程度残っている。そしてその中心にいたのは、まぎれもない冨田自身であった 。戦後 GHQ 統治下の教育制度改革と民主教育の導入は、教育の多様性を進展させるとともに、演劇等教科に入らない活動も積極的に行われるようになった。そのような実践の発展を受ける形で、1950 年代から 徐々に演劇と教育の関係についての理論的整理や歴史的振り返りが本格化し、冨田博之『演劇教育』(冨田、1958)は、「芸術教育双書」の一冊として国土社から出版された。

冨田は「演劇教育」という言葉をもちいて、その理念を説明しようとする。冨田の「演劇教育」は、「演劇による教育」であって、それは必ずしも演劇を制作して上演することにかぎらず、演劇的な方法を用いて教科学習をすることも、冨田にとっては「演劇教育」である。冨田は小原の「学校劇」、坪内の「児童劇」をも含めてその概念的整理を試み、図2のように、演劇の創造、鑑賞、学習指導、生活指導などに応用される演劇的方法などをすべて含めて、「演劇教育」という概念的な用語を使用した。

冨田は、小原、坪内の考察を中心として、それまでになされた演劇の教育的目的を以下の八つに分類している。

  1. 演劇は総合芸術であるから、総合的な教育の場として役だつ。
  2. 演劇本能、遊戯本能を充足させることができる。
  3. 経験をひろげ、人生への態度を学ばせることができる。
  4. 視聴覚教育の一つの方法として、学習に役だてることができる。
  5. 自発性、創造性をやしなうことができる。
  6. 全人教育、情操教育として役だつ。
  7. 社会性、協同性をそだてることができる。
  8. ことばづかい、表情、動作などをみがくことができる。

(冨田、P.12)

しかし冨田は、これらは誤りではないが不十分であり、科学的な裏付けがなく、なぜそれが演劇でなければならないのかという問いに答えられていない、と指摘する。

そこで冨田が参照したのは、当時日本国内にも徐々に紹介され始めていた演技方法としてのスタニスラフスキー・システムであった。冨田は、これまでの演劇教育論は「『演ずること』の作用」(冨田、P.15)に目を向けていない、そこで「演ずること」の作用に目を向けることによって、「これまで、観念的にしかとらえられなかった演劇教育の意義が、しだいに、科学的・具体的にとらえられるようにな」(冨田、P.15)る、と考えた。

小原、坪内が積極的に議論していた大正期、その議論の中心課題が「観客に見せようとして華美になることをどのように扱うか」であったのに対し、冨田の関心は、「なぜそれは演劇でなければならないのか」である。美術や音楽、生活綴方とは異なる演劇の特異な点、それは「演ずる」ことである、と冨田は考えた。そこで、冨田の演劇と教育についての議論は「演ずること」の教育的意義へと展開してゆく。

冨田によれば、「演ずること」には、「もんきり型の演技・ものまねの演技」と「創造的な演技」の二種類がある。冨田が推奨するのはもちろん後者である。そして冨田は、後者の演技は「役を生きる演技」である、と主張する。

そのアイデアはスタニスラフスキー・システムから着想を得ていると考えられるが、冨田はここではそのことよりも、幼児の「ごっこ遊び」に言及して、演劇教育の仕事は「幼児の『ごっこ』に見られる演技の自然さを、うしなわないように、子どもたちの心身の発達に即しながら、その演技をみちびき、そだてていくこと」であると主張する。冨田にとって幼児の「ごっこ」は、「もちろん、劇ではない。しかし、自分ではない、他人の役を演じているという点では、一つの演技であり、子どもたちの、いきた想像力によってささえられている、もっとも創造的な演技である」。それは、「どんな名優の演技よりも、ある意味では、自然で、のびのびしている」(冨田、P.18)。

冨田は、そのような「役を生きる演技」を主張することの意図を大きく二点にわけて論じている。
まず一点目は、人に見られながら何かを演ずることは、緊張するものである。しかし、「劇をやるためには、こういう緊張感をなくし、自分の自然さをとりもどして、いきいきと、有機的に演じなければならない」。そのためには、子どもたちが「役を生きる演技」をするように、すなわち、舞台上で自分たちの目的をはっきりともって、自分の行動に集中し、能動的に動けるように仕向ける必要がある。そうすれば、子どもたちは自分のやっていることに集中しているので、人に見られる緊張がなくなり、自然さをとりもどすことができる。二点目は、「役を生きる演技」をするためには、自分ではない演劇の中の役について考え、想像する必要があり、そのことによって他人の立場に立って考えたり感じたりすることを学ぶことができる。「役を生きる演技」で演ずることを通して、役と役の関係を知り、人間と人間との相互関係に対する理解を深めることができる。

冨田にとって演劇の教育的効果の論拠は「役を生きる演技で演ずること」にあるため、かならずしも美術教育や音楽教育のように独立した位置をもつ必要はない。むしろ冨田は、演劇教育は「学校教育の中に位置づけられる必要はないが、子どもたちの教育全体のなかでは、どんな教科にもおとらぬ重要な役割を持っている」(冨田、P.46)と考える。

では、冨田は上演についてどのように考えているだろうか。
冨田は「演ずること」の教育的効果を強調しており、そこでは論理的には必ずしも上演は必要ではない。冨田の論じる「役を生きる演技」を主張する意図の一点目は、明らかに演技をしているさまが誰かに見られている状況を想定したものだが、それは上演という場にかぎらず、教室で学習指導や生活指導などで演劇が用いられ、それが教室内でのみ共有されるときにも適用できるだろう。

しかし、冨田はこのような「役を生きる演技」の重要性を主張する一方で、「学校劇」の上演に至るためになされる準備の過程を「くるしみと、よろこびのるつぼ」(冨田、P.29)とたとえ、そのことの教育的意義を強調することも忘れていない。ただし、それは「役を生きる演技」を論じる上でなされた演繹的な論じ方ではなく、それまでに記録の残された具体的な実践の様子を描写することによって描き出している。

また、本書は八章構成になっていて、

Ⅰ 演劇教育のめざすもの
Ⅱ 劇のある教室をもとめて
Ⅲ 演劇教育と国語教育
Ⅳ 演劇教育と生活綴方
Ⅴ 中学校における演劇教育
Ⅵ 演劇教育運動のあゆみ
Ⅶ 学校劇の脚本
Ⅷ 学校劇の演出

となっているが、Ⅶ、Ⅷは学校劇、すなわち学校で演劇を上演するための理念やノウハウをまとめた章であり、そこに本書の約三分の一が割かれている。図3における「演劇的教育(方法)」を論じたⅡ、Ⅲと、演劇の創造、演劇の鑑賞を含んだ「演劇教育」を論じたⅦ、Ⅷとは、分量的、内容的に明らかに差がある。冨田の演劇と教育についての理論的考察は『学校劇の建設』から始まっており、また残された冨田の演劇教育実践の記録も、ほとんどが上演をともなう演劇であることからも、冨田の演劇教育に対する関心の出発点は上演をともなう演劇の教育的意義であったと考えられる。

しかし、それがなぜ演劇でなければならないのか、冨田はその「演劇教育独自の作用を科学的に」明らかにしようとし、その端緒をスタニスラフスキー・システムと「演ずること」に求めた結果、そこからは上演の必要性を主張することはできなかった。その後の冨田の論考は、この『演劇教育』で論じられた「演ずること」の意義と、「さまざまな立場、考え方、感情をもつ人間どうしが、(略)一つの仕事をなしとげる」(日本演劇教育連盟編、1978、p.7)こと、すなわち上演に向けて共同作業を経ること、の両翼をもって展開してゆくことになるが、冨田が目指した「演劇独自の作用」は前者においてのみ論証可能なことであって、後者については経験的な形で実践記録を蓄積するにとどまり、またこの両翼が接合することによって得られる教育的意義も、明確には論じられない。

その後冨田はそれまでの演劇教育や児童演劇の歴史的経緯をまとめる仕事に着手し、特に冨田の「日本演劇教育史」は、未完とはいえ、そのすべてが子どもの演じる演劇の上演、または子どもの見る演劇の上演とその周縁的事実の記録となっている。