これからは積極的に「演劇教育」という言葉を使っていこうと思い直した話

ものすごーく平たく言うとわたしは演劇をすることに何か意味はあるのか、みたいな研究をしているのですが、
ある程度先行研究などなどを探し始めた頃から「演劇教育」という言葉を使うことをできるだけ避けてきました。
なぜなら、この言葉にはあまりにも多くの齟齬をいとも簡単に生み出すからです。

このテーマについて真剣に考え始めたのは卒論を書いている途中からだったのですが、
その頃は「演劇教育」にそんなに大きく問題を感じてはいなかったのですが……

たとえば、

  • 大学の演劇学科で(将来プロフェッショナルとして活動するとは限らない)大学生に演技や演出について教えること
  • 国語や社会、家庭科などの教科学習の中で特定の教材やシチュエーションを児童・生徒が演じてみること
  • 演劇部や演劇クラブに属する児童・生徒が年に一度の発表の機会にむけて稽古をすること
  • プロの俳優や大人が子ども向けに演劇を作り、それを子どもに見せること
  • 特定の学習目標に対してそれを達成するために演劇的なアクティビティを用いること

などなどなど……

は、すべて「演劇教育」という言葉で議論を始めることができるものです。

このような現状を理解し始めた頃から、「演劇教育」という言葉で話を始めることは誤解を生むだけでなんのメリットもない、わたしがどのような関心で演劇と教育の関係について考えようとしているのか、いきなり精密な話を始めてしまったほうが誤解がない、と思っていました。
これまではこの選択に間違いはなかったと認識しています。
修士の頃も、博士に入ってからも、この態度を貫き、この点について対面の議論においては改めて説明する時間を省いてきました。

しかし、です。

わたしが卒論を書いていた頃とは異なり、ある程度新刊が出版されるようになり、成長過程のどこかで演劇や演劇的手法を用いた授業、演劇ワークショップなどを経験した人が卒論の題材として演劇と教育の関係について考えようとすることも増えてきていて、
そのときに真っ先に検索ワードとして候補に上がるのは「演劇教育」なのだ、ということを、先日の研究会で実感したのです。

現状、教科として存在する音楽や美術においては、その教育的意義について考えようとするときにそのまま「音楽教育」とか「美術教育」という言葉が思い浮かぶように、
演劇についても、音楽や美術に並列する概念レベルのものとして簡単に「教育」という単語と結びついてしまいます。

音楽教育や美術教育における議論の前提はもっと単純だ、などというつもりはさらさらないですが、
演劇教育、という言葉には、留意しなければならない 、自分が想定していること以外の前提や定義があまりにもたくさんある、
ということは、踏まえておくべきでしょう。

そして、そのことをイチから踏まえようとしていたら、やることがあまりにも多すぎて、卒業研究なんて成立しないです。

だとすれば、わたしは素直に「演劇教育、という言葉には、色んな意味があるよ」ということを、よりはっきりと発信していかなければいけないな。
と、思い直しました。

という話でした。

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