「からすのパンやさん」講評

かこさとしの絵本「からすのパンやさん」から着想を得た一作。

ある森にからすの夫婦が営むパン屋がある。
そのパン屋のもとに4羽の子が生まれた。からすは黒いのが普通だが、子どもたちは白、茶色、赤、黄色、と鮮やかな色をして生まれた。夫婦はそれぞれにおもち、チョコ、リンゴ、レモンと名付け、手厚く育てる。
4羽はすくすくと、いたずら好きに育つ。あまりのいたずら好きは夫婦の営むパン屋にまで影響し、徐々にパン屋は評判を落としてゆく。両親の営むパン屋のパンがまずい、という理由で、4羽は学校でいじめられるようになる。
パン屋をやめて別な仕事をしようかと両親が悩んでいることに気づいた4羽は、自分たちでパンを作り、学校で配ることでパン屋の評判を(そして自分たちの評判を)取り戻すことを思い立つ。作ったパンは学校でも好評で、パン屋も評判を取り戻す。

生来特定の色で生まれてくるはずの子が別な色や特徴を持って生まれてくる、という設定は、「みにくいアヒルの子」や「スイミー」などでも用いられているので、そのモチーフ自体は馴染み深いものである。別な色をもって生まれた子は、他の子とは異なる能力なり血筋なりを持っていて、成長とともにその能力や血筋はあきらかになり、そのことによって幼いころに受けた屈辱がはらされる。
この設定から推測されるのは、色が違うという理由でいじめられた4羽が、パン屋の家で育ったという能力と、食べ物の名前を背負って生まれたこと活かしてそれまでにない新たなパンを作り出し、自分たちの人生(カラス生?)を切り開く、というような展開だろう。実際、原作であるかこさとしの絵本においても、4羽の意見を取り入れた様々な形のパンが、評判を落とした両親のパン屋を救うことになる。

しかしこの「からすのパンやさん」における4羽が鮮やかな色を持って生まれたことは、この物語になんら影響しない。自分と両親を救うものである自分たちで工夫して作ったパンは、たとえばレモンジャムを包んだもの、とか、餅と明太子をトッピングしたもの、とか、思いつきそうなものだが、そうではなく、クリームパンとかメロンパンとか、いわゆる普通のパンである。それどころか、彼等は黒くないという理由でいじめられることもない。いじめられる理由はあくまでも、両親の営むパン屋のパンがまずい、ということである。さらに、彼等は自分たちのいたずらが両親のパン屋の評判を落としたことを、反省はするが、両親に謝ることはしない。 彼等がするのは、両親の真似をしてパンを作ること、であった。

からすのパン屋、というファンタジックな設定でありながら、描かれる世界には不思議な現実味がある。
実際、生まれた子どもが両親にあまり似ていない、なんてことはよくあることだし、両親に似ていないという理由でいじめられることもないだろう。そんなことよりも、学校での「あいつの家がやってるパン屋のパン、不味いよな」という噂のほうが、学校という閉鎖的なコミュニティに生きる子どもたちにとってはよほど脅威であるに違いない。その脅威が、あるきっかけで爆発的に広がるのではなく、4羽の属するコミュニティに徐々に浸透していく、という様子を、「こげこげ」「まずっ」「にがい」などの単語をバラバラに発語することを繰り返す一曲を挿入することによって表現しようとしたことは評価できる。この一曲があることのおそろしさは、4羽が凄惨ないじめをうける、というような描写がなくても、4羽の心が徐々に、深くうちのめされることを感じさせるものだった。

そして、落ちた評判を取り戻すために4羽がしたことは、自分たちのいたずらを謝罪によって取り消すことではなく、両親の苦労や努力を体験し、それが良いこと(成果としての美味しいパン)をもたらすものであることを自ら確認することであった。

この4羽が、両親のパン屋が評判を落とし、いじめられ、生活も貧しくなる、という絶望的な状況に陥っても、観客は希望を失わずに見続けられるのは、いじめられているのが1羽でなく、4羽の兄弟であることによる。4羽は自分たちの境遇について共に考え、打開策を見出し、共にパンを焼く。彼等はいじめられ、貧しいが、孤独ではない。観客は絶望させられていないので、この4羽の行動を絶望的な状況からの救いとして見させられることもない。ただ、美味しいパンができるといいな、という純粋な気持ちで、つまり、美味しいパンができることによっていじめがなくなるといい、とか、美味しいパンができることによってパン屋の評判がよくなりますように、というような邪な願いを差し挟むことなく、4羽でパンを焼く一曲を聞くというファンタジー体験ができる。

一曲一曲が、物語の中に適切に挿入され、それによってもたらそうとする効果についても明確な意図のある、よく構成された一作だった。設定が持っている、観客の想像力を喚起する力はかなり高い。4羽の色が黒くないことや、パン屋が評判を落として貧しくなることなどは、原作の設定のままであり、サラッと流されているが、この作品のもつ不思議なリアリティと結びつけられることによって、その状況を想像させられ、にもかかわらず絶望させられない。一作の中でファンタジーの世界と現実の世界を行き来するという不思議な体験ができる。

ただ、これらが完璧に達成されたか、というと、もう少し練習の余地があったように思う。わたしが授業の際にワークショップ的な作り方でバラバラに発話することをやったのが影響したのだろうと思うし(その点については、はい、すみません)、そのことがもたらす効果を使ってみようとしたことの意図は明確だが、もっと堂々とやってもよかったのではないか。このシーンにおけるいささかの遠慮が、全体の構成の中に意図された強弱を貧弱なものにしてしまった感がある。練習時間を決して十分に取れない状況が本当に惜しい一作だった。