「うたのだいぼうけん〜いろをとりもどせ〜」講評

仲間とともに悪い魔女を倒しに行く。典型的な冒険譚である。

魔女は色が大嫌いである。ある日、魔女は自身の魔法を用いて、町中の色という色をすべて取り払ってしまった。町はどこまでもどこまでもモノトーンになってしまった。
森で、少女・うたはフォレスト・シスターズというミュージシャンに出会う。フォレスト・シスターズはモノトーンの世界でも悲壮感なく、陽気に歌を歌っている。
うたとフォレスト・シスターズは、国王の依頼を受けて、町に色を取り戻すため、魔女を倒しに出かける。
うたとフォレスト・シスターズは協力しあって、魔女を倒し、町にも色が戻る。

展開の明確な、といえば聞こえはいいが、よくある話。今時ドラゴンクエストだってもっと工夫する。

しかしまったく飽きない。

 「うたのだいぼうけん〜いろをとりもどせ〜」は、メディア・テクノロジーを駆使した快感を非常に上手にあやつっていた。
バックスクリーン(教室にある、教師のパワーポイントを映し出すための、黒板の前に降りるあれ)に背景を出すことは多くのグループが試みていて、正直そのすべてが効果的だったとは言いがたかった。 みな絵は上手だし、自分たちで写真を撮ってきたりして工夫をしていたと思うし、実物投影機を用いて投影画像を動かしたりしてイリュージョンを試みたりもしていたのだが、所詮それが「黒板の前のスクリーン」であることを乗り越えるほどの効果があったものは少なく、そんなものより、黒板の前で演技しているあなたたちが見たいんだけど、という気持ちに何度もさせられた。

「うたのだいぼうけん〜いろをとりもどせ〜」では、魔女の魔法によって色がなくなる様子を写真の差し替えによって表現していた。この事自体は決して難しい技術を用いていたわけではないのだが、魔女役の千田さんはあきらかにスクリーンに向かって演技をしていて、このことが「黒板の前にあるスクリーン」を「町を望む魔女の城の窓」に錯覚させる効果をもたらしていた。そして、このシーンと最後に魔女の魔法がとけて町に色が戻るシーン以外では、ほとんど存在感がなく、演技の邪魔をしていなかった。どこでスクリーンを見せ、どこで見せないのかが、上手にコントロールされていたように思う。

また、フォレスト・シスターズも、ただの主人公の仲間ではなく、むしろ主人公うたよりも強い存在感をもっていた。フォレスト・シスターズは森で音楽ライブを行なっているが、「今日もごま塩おにぎり!!」という、色のない食べ物をずっと食べていて退屈だ、というテーマをロック調で歌い上げ、そこにはまったく悲壮感がない。色のない町で「今日もごま塩おにぎりか、ま、しょうがないよね。今夜も楽しも!」という態度を取れることが、国王の召使に正義の使者として選ばれる所以であろう。観客が彼女たちをうたの仲間として認めるには、彼女たちが町の他の人達とは異なる心意気をもった人物であることに納得できなければならないのだが、その「悲壮感のなさ」という心意気を、マイクパフォーマンスで見せるところは圧巻だった。なお、マイクを介して歌ったのも、ポピュラー音楽をここまで効果的に用いたのも、この「うたのだいぼうけん〜いろをとりもどせ〜」だけであった。

魔女に色をうばわれる、というわかりやすいファンタジックな設定と、悲壮感のないロックミュージシャンという取り合わせが、典型的な物語展開に強弱を与え、それぞれのシーンで何を見せるのかがはっきりしていた。教室という限られた空間の中で起こすことのできるイリュージョンをしっかり起こした。さすがの一言である。