論文レヴュー Ellis, Adams, Bochner ‘Autoethnography: An Overview’

オートエスノグラフィーに関するお勉強、進行中です。
今日はオートエスノグラフィーのことをさくっとおさらいできる、こちらの論文。
インターネット公開されています。 

Autoethnography: An Overview
Carolyn Elli Tony E. Adams Arthur P. Bochner

http://www.qualitative-research.net/index.php/fqs/article/view/1589/3095

筆者のエリスとボクナーは、質的研究ハンドブック第3巻(第二版)(北大路書房、2006年)で「自己エスノグラフィー」の章を担当している、オートエスノグラフィーの第一人者な夫婦です。
またアダムスも、オートエスノグラフィーに関する研究を続々発表している人で、
この2月末に テキサス州サンアンジェロで行われるDoing Autoethnographyにもいらっしゃるようです。
えー、ついていけるようにがんばります。はい、がんばります。

―――ここから―――

 まずはアブストラクト。

オートエスノグラフィーとは、研究の方法であり、記述の方法である。それは文化的な経験を理解するために、個人的な経験をシステマティックに分析し、記述するものである。
この方法は、従来の研究のあり方や他人の表象の仕方に対抗し、研究行為を政治的な、社会的に公正な、または社会に対する意識を高める行為として扱うものである。
研究者は、オートバイオグラフィーとエスノグラフィーの考え方を用いてオートエスノグラフィーを行い、書く。
方法としてのオートエスノグラフィーは、(研究の)過程であり、その成果物でもある。

オートエスノグラフィーとして発表される論文は、ほとんど小説とか詩とかなので、日本では査読付きオートエスノグラフィー論文はない、と思います。
(オートエスノグラフィーについて、の査読付き論文はあります! ってゆうか、私が書いた!)
なので、その成果物が本当に何かを分析した成果なのか? ちゃんと考えたのか? テキトーに書いたんじゃないの? これ、論文として出すことになんか意味あるの? という印象というか、感想というか、批判は当然あるわけです。
なんですが、本当に優れたオートエスノグラフィーは、筆者が、自身の経験は共有する意義のあるものであると、研究者としての立場で判断し、その経験を記述するための努力を踏まえた上で書かれたものであり、ここではその努力の手順を「システマティックな分析」と書いているのだと思います。

1,オートエスノグラフィーの歴史

ポストモダンの時代に入って、社会科学研究は「自信を失った」、という表現がされています。
(リオタール『大きな物語の終焉』)

それらを踏まえて、オートエスノグラフィーは、研究成果を意味あるものにするため、また読みやすいもの、共感的なものにするためになにができるかを模索した結果であると言えます。
(エリス、ボクナー「自己エスノグラフィー・個人的語り・再帰性:研究対象としての研究者」『質的研究ハンドブック』第3巻第5章、北大路書房、2006年)

2,オートエスノグラフィー、そのプロセス

オートエスノグラフィーのプロセスについて、ここでは端的にミッチ・アレン(ノートが付いているはずなんですが、見えないので、誰だかわからないんですが……)のインタビューが引用されています。

経験を分析的に見よ
他の人があなたの経験についての物語を聞くことに価値があると判断するのは、その語りが研究者の研究能力を以って分析された結果だからである

3,オートエスノグラフィー、その成果物

オートエスノグラフィーは、オートバイオグラフィーとエスノグラフィーの両方の要素を持っているもので、その成果物も両方の要素をもっています。

そして、それだけでなく、オートエスノグラフィーは、読みやすい文章を生成して、これまでの研究論文が対象としていなかった読者にもアプローチできるようにして、そこから個人や社会を変えていく力を持つものを目指している。

4,オートエスノグラフィーの可能性、論題、批判

4,1, オートエスノグラフィーの形式、方法

  • 現地のエスノグラフィー
  • ナラティブ・エスノグラフィー
  • 反省的インタビュー
  • 反省的エスノグラフィー
  • レイヤード・アカウント
  • 相互好意的インタビュー
  • コミュニティー・オートエスノグラフィー
  • 共同構築的語り
  • 個人的ナラティブ

4,2,書くことは癒やしである

書くことは知ることであり、探求の方法である

(4,3,と4,4,は省略) 

5,オートエスノグラフィーに対する批判

オートエスノグラフィーはアーティスティック過ぎて科学的でない、というような批判を受けることがある

 

しかし、オートエスノグラフィーが目指しているのは、私達自身や、私達の生きる社会をよりよいものにするための、手に取りやすく、かつ分析的な文章を生成することである

―――ここまで―――

この論文は、内容というよりも、文献リストが充実していることが役に立ちます。
基本的な考え方と議論の内容をフォローしつつ、それらの議論がどの論文で為されたのかがちゃんと書かれているので、ここから少しずつフォローしていきたいと思います。

オートエスノグラフィーは(その出来上がりに反して)、 分析的な文章なのだ、ということが再三強調されています。その辺りは、「質的研究ハンドブック」のエリスとボクナーの「自己エスノグラフィー〜」の文章から10年経って、理論的な主張における発展があったことを伺わせるものになっていると思いました。

オートエスノグラフィーの論文は2000年代に、とくに2000年代後半にかけて爆発的に数が増えていて、ジャンルだけでもフォローしようと思っていたんですがそれももはや無理です。

おそらく、オートエスノグラフィーの表面的な部分だけが汲み取られて、さして面白くないオートエスノグラフィーが量産されてもいるのだろうと思います。
そこで、オートエスノグラフィーのオートエスノグラフィーたる所以、すなわち、それが研究の過程として、または成果として主張されているものなのだということ、完全に小説や詩になりきってしまわないことが宣言されていると思いました。